自閉症は自閉症で生まれた意味があると断言できる理由

自閉症で生まれた理由は、至極簡単なこと。なんてことはない自閉症と言う才能を持って生まれたからです。

この記事は、その考えにたどり着くまでのパパの頭の中身を文字にしただけです。

長文な上にあまり面白くありません。

このブログを読み返して感じたこと

現在5歳の娘が、3歳当時に自閉症スペクトラム障害と診断された前後のストーリーを出来るだけ順を追って書き記しているのがこのブログです。

小さい会社の経営でそこそこ忙しい中書いてきた記事ですが、そろそろ時系列が現在に追いつきそうなところで、ふと過去の記事を読み直してみました。

そこには、娘の自閉症を認めきれなかったために発覚まで遅れた経緯や、親の目線ではなく第三者の目線で娘を見てしまえば自閉症スペクトラムだと簡単にわかってしまった現実、自閉症と宣告されたときのパパママの落胆、そんなところから始まりました。

その後、地域療育センターを通じて診療心理士の先生とマンツーマンで勉強できる幸運を掴み、学んだことを娘の教育に活かし、食事や言語、識字能力などを少しずつ改善できる現在進行系の物語が続きます。

そしてこれから先書いていくのは、年長さんとなった娘が「お姉さん」を気取り、多少身勝手ながら自立心を表に出し始めた様と、とは言うものの、弟くんと知能年齢がそんなに変わらない現実からか、弟くんに独占されているママへの寂しさを自傷行為で表現している現在を書いていきます。

ここまでのストーリーを読み返してみて、ブログという媒体故に誇張する部分はあるものの、事実と主観の記憶をもとに書いている当事者の”パパ”という人物の頭の中には、娘は障害者であり他者より劣っていると言う劣等感を感じ取ることができました。

娘には絵の才能があると言ってみても、ダンスに光るものがあると言ってみても、人より言葉が喋られなくて、人より文字が覚えられないことは事実であり、社会における明らかなハンデです。

絵を見せられて上がる親としてのテンションよりも、数字が読めないことで下がるテンションの幅の方が大きいんですね。

だれか娘を肯定してくれないかな、って他力本願、承認欲求がときに究極に高まる時があるのです。

自閉症で容易に想像できる未来

多分、”パパ”である私は、自閉症児がマイノリティの扱いであり、マイノリティが年齢を重ねていくと、どういう目に遭うかを知っているわけです。

学校ではいじめに遭い、レベルの高い教育の場には進めず、就職で困難を極め、人に警戒心を持たない娘は悪い男に引っかかる(これは言い過ぎか??)可能性を既に危惧しているのです。

「あのね、え~とね、え~と、あのね」

頭の中が整理できず喋ろうとするから、上記のように繰り返すのが娘の癖ですが、一般社会でこのように話す人と対面したらイラッとしません?

少なくとも、会社の面接でこのような感じだったら絶対落とすでしょ。私も落とします。

自閉症をマイノリティとした場合のマジョリティは当然健常者ですから、多勢に無勢、数では勝てません。

イレギュラーの存在を嫌う傾向が特に強い日本においては、突き抜けた芸術性を持たない限り、自閉症が活躍する場面を想像できないのです。

事実、芸能界では明らかな自閉症スペクトラム障害と分類される方が活躍していますよね。

あそこまで突き抜けてみないと、ピカピカの未来を用意してあげられないのではないかと。

芸能の世界まで飛躍させなくても、一般社会においても現在は実力主義がどんどん色濃くなっています。

実力主義が浸透していくと、弱者はいよいよ弱者です。

「弱者が住みよい環境づくり」って耳障りがとても良い言葉ですが、日本人の本来の特異な者を排除する気質から考えると、とても矛盾するんですよね。

そして、このような恨み節を心の赴くままストレートに書いたりしたら、親としてのさらなる努力を求められたり、娘自身のさらなる努力を求められたりすることの方が多いだろうなぁと、世間に対して弱気になったりするわけです。

この独り言の記事を書いた理由

こんな風に、最近弱気になったりしたのですが、そんなときに見つけたのが以下の記事です。


これを読んでくれる人は、リンク先も読んでくれると信じて、リンク先の記事の解説は入れません。

そりゃ、自閉症を肯定してほしい一心で記事を探せば、ご希望どおりの記事に出会えるのが当たり前なんですけど、この記事の中に娘の存在意義を見つけたわけです。

何度かこのブログでも書きましたが、診断に至っていない潜在的な自閉症の人を含めると、10人に1人が自閉症である可能性があると名言されています。

10人に1人って、それって、目が悪くて眼鏡が必要な人と同じくらいの割合じゃないのかなとか思うのですよ。
※参考数値なし。勝手なイメージです。

そして、本当に自閉症が障害なのであれば、進化の過程で消え行く存在だったのではないかとも思います。

じゃあ、進化の流れでは淘汰されなかった自閉症とは一体なんなのか。

もうね、勝手な事言いますよ。


他人重視型が健常者で、個人重視型が自閉症です。


男と女、黒人と白人と黄色人、異性愛と同性愛、これらの分類に加える格好で、他人重視型と個人重視型です。

健常者と障害者ではなく、人間の種類なのだと勝手に解釈しました。

他人重視型の健常者は、他者との共存を意識下、無意識下問わず望んでいるから、人の目線を気にし、良い服で着飾り、社会的ステータスを重要視する。

良い学校に行くのも、良い就職をするのも、波長の合う友人と出会うのも、結婚して家族を増やすのも、他人を重視しているから。

極端で誤解を恐れない言い方をすると、他人重視型は子孫を増やす能力に長けた種別。

一方、個人重視型の自閉症は、何よりも自分の思考を最優先します。

ときにそれは身勝手な振る舞いに見えることがあり、排除の対象となりますが、生来周囲の環境に左右されない思考が突き抜けると、鋭く絞った特定の分野で強烈な個性を発揮し、結果的に社会に貢献できる役割を担います。

参考:テンプル・グランディン

他人を重視しない以上、コミュニケーションや人から良く見られたいという類の子孫を増やす能力がとても低いですが、むしろ能力を最大限に活用した時、多くの他人を牽引することが出来ます。

もう、この解釈で行こうかなと。

こういう考えでリスタートすると、途端にポジティブになれます。

絵がうまい、ダンスがうまいよりも言葉や文字を覚えてほしい欲求は逆転し、言葉や文字が下手でも絵がうまいしダンスがうまい(しかも可愛い)って感じに変換されます。

社会に溶け込めないなら、無理に溶け込む必要はありません。

そもそも、娘に養ってもらうつもりで育てているわけではないですから、健常者にまぎれて、健常者に似せて日々を狭く暮らしていくよりも、やりたいことを最大限にやらせて、その才能を突き抜けてもらった方がいい。

才能、そう才能ですな。

自閉症は才能です。

パパは、娘が才能を活かしきれず突き抜けられなかった時のために、家や財産を残す努力をしよう。

それが他人重視型で生まれたパパやママの役割だ。

仮に頭の中身が幼いままで成長したら、それはそれで愛らしいし、むしろモテるかもしれん。

そもそも可愛いし。

もう、社会に対して、他人重視型である健常者に溶け込みやすい環境を求めるのはやめよう。

自閉症を障害と定義している現在の社会では、自閉症の才能を最大限に活かせないかもしれない。

自閉症が生きづらい世の中で構わない。

娘が生きづらいと感じず生きていけるなら、それはそれでいい。

その時は、娘が他人重視型の能力を備えられた結果論だ。

不思議と、それはちょっと寂しいなとも思えてきた。

他人重視型になってしまえば、性的にも成長して、いつかパパを嫌いになる時期がくるかもしれないけど、個人重視型ならずっとパパを好きでいてくれるかもしれない。

それは大変好ましい。

娘は、自閉症と言う、10人に1人の才能に恵まれてこの世に生まれました。

自閉症児の親の目線で見ると、自閉症だなって思えるお子さんと沢山出会います。

その中には、親御さんが我が子が自閉症であると盲目的に信じていない人も多いです。

自閉症が個人重視型と言う才能であると言う認識が一般論として広まれば、我が子こそ自閉症ではないかと診断を受ける人も爆発的に増えると思うのですよ。

この他人重視型と個人重視型の二分類に分けられた世の中において、一番不幸なのは、他人重視型であることを強制させられている個人重視型のお子さんじゃないかと思います。

あなたも、自分のお子さんが自閉症かもと、心を仄暗くしていませんか?

自閉症は才能です。


私は学者じゃないけど、自閉症児の父親の言うことだから間違いないでしょ?